築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に河野通盛によって築かれたと云われる。 湯築城を居城とした通盛が海辺を防御するために築いたと城だと云われる。
河野本家と予州家による内紛では、予州家の河野通春が拠点としていたが、通春が病没すると攻め落とされた。
天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で落城し廃城となった。
湊山城は三津浜港の北側、港山駅の南西にある標高50m程の小山に築かれている。
東側の道路沿いに案内板があり、そこから山へ入る道が付いている。ここから山頂まで階段状に無数の平段が続いているが、曲輪跡なのか畑跡なのかよく分からない。全体的に鬱蒼と茂った竹藪になってて、山頂の西側は夏草が生い茂っている。
2016年頃に主郭が公園として整備されたようで、登山道も大きく改善して遊歩道となっている。ただ遊歩道設置のために主郭に続く段々地形もだいぶ削られており、地形が変わってしまっている。
港山駅西側の踏切を越えて南へ進むと港山集会所があり、その向かいに案内板と登山口がある。
車はそのまま海にでて湊三島大明神のほうに向かって行くと堤防付近に駐車出来る。
最寄り駅(直線距離)