築城年代は定かではない。正平23年(1368年)伊予を脱して九州へ落ちていた河野通直が伊予に帰国して勢力の回復を計り、細川氏に降ってた花見山城の久枝四郎左衛門与利を降した。通直はここに陣を構えて大空城を攻めている。
その後、河野通孝(西通孝と同一人物?)が城主となり、西氏の末裔は西山氏に改姓して代々城主と続いたという。
花見山城は新池の東にある比高20m程の独立丘陵に築かれていた。
花見山城は北端の主郭から南に三段の曲輪を設けた小城で、現在主郭には祇園神社、南二段は畑となっている。北側から付いている参道の入口に案内板が設置されている。
西麓に新池の公園駐車場がある。北側にあるのが神社への参道、西側からある道は畑への道となっている。
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