築城年代は定かではない。
応安元年・正平23年(1368年)九州へ逃れていた河野通直が伊予に帰ると、今岡通任に命じて葛籠屑城と花見山城を攻め落とさせたという。
戦国時代末期の城主は河野氏の侍大将十八将の一人因島村上氏の一族村上吉高であったが、元亀3年(1572年)織田信長の家臣山岡対馬守に攻められ落城した。
天正8年(1580年)村上氏は来島城主村上通総の陰謀に加担したことが露呈し、河野氏によって攻められ落城する。その後は河野氏の家臣乗松内蔵允が城主となったが、天正13年(1585年)河野氏の滅亡によって廃城となった。
城は瀬戸内海に突き出すように西へ突き出た尾根の先端が小高くなった山に築かれている。
主郭は山頂にあって南北に長くここに標柱が建っている。主郭の東側面には石積があり、東に続く尾根を堀切で断ち切っている。主郭の北側にも曲輪があり、その先に堀切がある。ここからさらに北側に降りて行った所にも曲輪があるようなのだが、陽も傾き行き先の近くまで蜜柑畑となっているようなので引き返した。
国道196号線が城山の下をトンネルで貫通している。トンネルの北出口から東の大谷地区へ入りそのまま東へ向かって進むと正面右側に溜め池が見える。ここを右折して道なりに進むと城山の東で行き止まりとなる。ここから薮をかき分けて行くと城山へ通じる。ここまで車道ではあるが蜜柑畑用のものなので道幅も狭く歩いて登ることをお勧めする。
最寄り駅(直線距離)