永和元年・天授元年(1375年)北郷義久によって築かれた。 北郷氏(ほんごう)は島津忠宗の六男資忠が戦功をあげ、北郷を所領し北郷氏を称した事に始まる。
北郷氏は2代義久の時、都之城を築き居城として以来、天正15年(1587年)から慶長5年(1600年)までの間に一時伊集院氏の領地となったが、元和の一国一城令で廃城となった後は、都城麓で明治まで続いた。
豊臣秀吉によって九州が統一されると、伊集院忠棟が都之城に入封するが、主家島津氏の転覆を画策した忠棟は伏見の島津邸で成敗された。これを知った子忠真は都之城をはじめ、月山日和城・山ノ口城・勝岡城・梶山城・安永城・志和池城・山田城・野々美谷城・梅北城・財部城・末吉城・恒吉城に兵を入れ徹底抗戦に出た。しかし慶長5年(1600年)徳川家康の仲介で忠真は降り庄内の乱は幕を閉じた。
都之城は大淀川の西側にあるシラス台地に築かれている。
現在城山公園として資料館が建っているところが、「御本丸」で西の狭野神社があるところが「西城」その間が空堀になる。「御本丸」の南には「中之城」、さらに西側には「池之上城」、「中尾城」、「中尾之城」と呼ばれる曲輪群があった。
米蔵屋敷門(現存 城門)
城山大手門(模擬 櫓門)
城山公園の無料駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)