大隅 財部麓おおすみ たからべふもと
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島津氏は一国一城令の江戸時代にあっても外城と呼ばれる麓制度で各拠点に武士を配置しており、その一つである。財部麓は鹿児島藩領で財部地頭仮屋は現在の財部小学校の地に設けられていた。
現在の財部小学校の所に地頭仮屋が設けられており、正門脇に標柱が建っている。 また県道500号線の西側にある小公園の所に番所があったらしく、ここに元番所の標柱が建っている。