建久7年(1197年)稲村重家によって築かれたと云われる。 稲村重家は島津氏の祖である島津忠久に従ってこの地にきたという。
その後は野辺氏が城主となり、慶長4年(1599年)の庄内の乱では伊集院忠真の弟小伝次が堅く守り落城せず、翌年和睦により開城となった。
城は村山川、湯之尻川に囲まれた地に築かれており、中城・松尾城・小松尾城・南城など九つの曲輪から成る群郭式の城であったという。現在は本丸とされる小高い丘が残されており、空堀が残っている。
県道500号線沿いに案内板が建っている。そこから少し北上した所にある交差点を南西側に行った所に中城の標柱がありそこから空堀が見える。
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