築城年代は定かではないが財部六郎正信によって築かれたと云われる。
その後、北郷氏の所領となったが文明18年(1486年)頃に新納忠続に与えられた。天文7年(1537年)新納忠勝と伊東佑充が争っている隙に、北郷忠相が財部へ侵攻して龍虎城を落とし北郷氏の所領に組み込まれた。
北郷氏はその後、都城から薩摩国宮之城へ転封となり、都城には替わって伊集院氏が入部した。慶長4年(1599年)伊集院忠棟が京にて主君島津家久(忠恒)に謀殺されると、伊集院忠真は蜂起して庄内の乱が勃発した。この龍虎城には伊集院甚吉が立て籠もった。
龍虎城は財部町の西にある城山に築かれている。 現在は城山公園として本丸・中之丸・池の上城が整備され、東側に大手門らしき櫓門が建てられている。
龍虎城は群郭式の山城で十二の曲輪群で構成されていたようであるが、南側にあった桜丸や二の丸辺りは運動公園となって消滅しているようである。
櫓門(模擬 櫓門)
財部小学校の前の県道2号線から一本南へ入った道路を西へ行くと櫓門がある。車の場合、この櫓門から中に入ってそのまま公園内に入ることができ、一応奥に駐める場所はある。もしくは櫓門入口前の道をそのまま山上に走っていくと運動公園の駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)