掲載写真数
形態
山城(240m/40m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,堀
城 主
島津資久,加江田氏,荒武藤兵衛,北郷氏,伊集院氏,島津氏
歴 史
築城年代は定かではないが文保年間(1317年〜1319年)島津資久によって築かれたと云われる。
資久は島津忠宗の五男で文保2年(1318年)樺山地方三百町を譲られ樺山氏を称した。
明応4年(1495年)には伊東氏の所領となり加江田氏を城主とし、後永正17年(1520年)荒武藤兵衛を城主として改修させ、北郷氏の侵攻を破った。
しかし、天文元年(1532年)には北郷氏に破れ、豊臣秀吉の九州統一後は伊集院氏の所領となったが、庄内の乱の後、元和の一国一城令により廃城となった。
説 明
空堀と土塁が残存しているようだが、薮に覆われはっきりしない。
内部は農地と山林になっている。
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.4km 三股駅
1.7km 餅原駅
4.5km 都城駅
5.1km 山之口駅
5.8km 日向庄内駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年8月