築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)高木氏によって築かれたと云われる。
嘉吉元年(1441年)島津忠朝の所領となったが、明応4年(1495年)伊東氏の所領となった。 大永2年(1522年)山田城主北郷久家が攻め寄せたが、伊東氏が待ち構え久家を討ち取った。
豊臣秀吉によって九州が統一された後は伊集院氏の所領となった。
梶山城は梶山小学校の北にある比高50m程の丘陵に築かれている。規模は大きく東西約400m、南北約200m程である。
小学校の北側に梶山城見学者用の駐車場もあり、比較的整備されていると思いきや、城内を周遊する林道と鉄塔への登り道などがわずかに歩ける程度で、他は藪化しており、ほぼ遺構を見学することは不可能であった。
梶山小学校の北側に駐車場があり、北郷氏の墓から山に入る道がある。
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