掲載写真数
形態
山城(155m/20m)
別 名
なし
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
樺山氏,北郷氏,伊東氏,北郷氏,伊集院氏,北郷氏
歴 史
築城年代は定かではない。
応永元年(1521年)島津元久と北郷義久が攻め落とし、樺山音久を城主とした。
大永元年(1521年)には樺山長久を大隅国小浜に移し、北郷氏の所領となり北郷尚久が城主となった。
大永3年(1523年)
都於郡の伊東尹祐が大軍を持って攻め落としたが、大永11年には北郷氏が取り戻した。
豊臣秀吉によって九州が統一された後は伊集院氏の所領となったが、庄内の乱の後は北郷氏の所領に戻り、元和の一国一城令によって廃城となった。
説 明
城は12曲輪あったらしいが、現在は5つの曲輪が残るのみで中でも
遺構の保存が良いのが平城と八幡城の曲輪らしい。
諏訪神社が建つ曲輪が諏訪城で、その東側にある曲輪が平城であるが、草木に覆われて入り込む気がしなかった。
この資料を手に入れたのが訪れた後だった為、残念ながら八幡城の曲輪の現状を見てくることはできなかった。
案 内
最寄り駅(直線距離)
2.2km 谷頭駅
3.3km 万ケ塚駅
3.3km 日向庄内駅
5.8km 都城駅
5.9km 東高崎駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年8月