築城年代は定かではないが延元年間(1336年〜1340年)土肥実重によって築かれたと云われる。
後に島津氏によって奪われ明応4年(1495年)伊東氏の所領となった。 天文3年(1534年)北郷氏が奪い天正15年(1587年)伊集院氏の所領となったが、庄内の乱の後、北郷氏の所領に復して元和の一国一城令によって廃城となった。
山之口城は山之口saの北東に聳える標高335.2mの城山から西へ派生した尾根の標高211mの丘陵に築かれている。
手持ちの図面によれば大きな空堀で区画された三つの曲輪が東西に並んでいるが、山全体が藪の中であるため、中央の曲輪の一部と空堀しか確認していない。
中央の曲輪は北東端に土塁の高まりと大きな窪地がある。北下には帯曲輪があり切岸下に溝が走っている。
林道があるので車で近くまで行くことができる。激藪なのでどこから入っても同じ状況だと思う。
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