嘉吉の乱の頃の城主は衣笠政時で、応仁の乱の頃の城主は松原掃部太夫定久という。
衣笠城は東觜崎駅の南東、標高133mの山に築かれており、現在は「梛獅子の丘」としてハイキングコースが整備されている。「梛獅子の丘」の案内図に「のろし台跡」とあるのが主郭となる。
主郭は標高133mの山頂にあるI1で東下に腰曲輪I2がある。主郭は土塁もなく切岸も緩くパットしない。主郭から西や北東の尾根には明確な堀は見当たらない。
主郭から南に下ると緩く幅広の堀切2がある。さらに自然地形に近い尾根が南に続いており、南端に大きな堀切1がある。
「梛獅子の丘」として整備されており登山口はいくつもあるようだ。わかりやすいのは「梛八幡神社」からで、神社の西側に登口があり駐車スペースもある。トイレは梛八幡神社にある。
最寄り駅(直線距離)