寛文3年(1663年)池田政直によって築かれた。
池田政直の父池田輝澄は、姫路藩主池田輝政の四男で山崎藩主として六万八千石を領していたが、寛永17年(1640年)御家騒動により改易となり、鳥取藩主池田光仲にお預けとなって因幡国鹿野に堪忍料一万石を与えられていた。寛文2年(1662年)輝澄が没すると子の政直は神崎郡・印南郡内に一万石が与えられて大名に復し、福本に陣屋を置いた。
一万石を領して大名となった福本藩池田氏(松平氏)であったが、寛文5年(1665年)政直が嗣子なく没したため、その所領一万石は弟政武に七千石、弟政済に三千石に分割された。政済は旗本となり、政武は交代寄合としてそのまま福本陣屋を居所とした。貞享4年(1687年)政武が没すると、家督を継いだ政森は二男政親に一千石を分知したため、以後六千石の交代寄合となった。
明治元年(1868年)池田喜通の時、高直しにより一万石を越えたため再び諸侯に列したが、明治3年(1870年)に鳥取藩と合併し廃藩となった。
福本陣屋は現在の大歳神社境内に築かれていた。藩邸は大歳神社の社殿の所にあり、南にある庭園は池泉回遊式庭園と呼ばれ、元禄年間(1688年〜1704年)の古図面そのままに現存する貴重なものである。
陣屋には堀などは巡らされていなかったようであるが、石垣や土塁が一部残っているという。神社の拝殿横に土盛りがあり石積も一部あるが、陣屋の土塁のような雰囲気ではなく遺構には見えない。
国道312号線沿いにある神崎高校が目印。高校の南東隅の交差点に陣屋の道標が出ており、その奥に大歳神社がある。
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