城主は赤松家臣の大尾兵庫頭興次で天正年間(1573年~1592年)に落城したという。
大山城は標高486.8mの丈山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
山頂部に堀切2を挟んで東西二郭あり、三角点のある東郭が主郭Iと考えられる。どちらも削平のみで土塁はなく虎口も明確ではない。
東背後の尾根は風化しているが堀切3で遮断、主郭Iの北尾根にも堀切4が確認できる。曲輪IIの南側には幅広の堀切1で遮断、北西下には曲輪IIIがある。
曲輪IIIは北へ向かって小規模な段が続き北端を土塁と堀切5で遮断する。南側は幅広の竪堀6を入れており、堀切1との間は緩斜面地形として残してある。北端の土塁は高低差ともないながら折れており、それにともなって堀切5も折れている。北尾根を遮断する堀切5が大規模なのは、赤松氏が但馬の山名氏に備えて築いたことを物語っているのかもしれない。
近年登山道が整備されており、駐車場もある。
南西麓にある大年神社の前に杉営農所があり、案内板が設置されている。登山口に近い駐車場は林道の鳥獣柵を入ったところにある。
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