築城年代は定かではないが明徳年間(1390年~1394年)に永良則綱によって築かれたと云われる。
永禄年間(1558年~1570年)の城主は永良遠江守雅親でこの頃に落城したとういう。
谷城は南へ伸びた標高206mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、北西の部分が虎口のようで西下の曲輪IIにつながる。南には腰曲輪IIIとIV、北には土塁の付いた腰曲輪Vを設けており、これが主郭部になる。
主郭部の西下に曲輪VIとVIIがあり、やや張り出すような形になっている。
主郭の北側には曲輪VIIIがあり、北端は一段高く低い土塁があり、櫓台のようである。現在の山道はVとVIIIの脇から伸びているが、これも本来のルートを踏襲していると思われる。
主郭の南尾根は二重堀切1で遮断しており、腰曲輪IVの側面に石積みが残る。一方北尾根は三重堀切3で遮断するが、一番内側の堀切は深く鋭く竪堀が長く伸びている。しかし外側の二条は東側面を遮断するに至らず通路状に残している。西側は遊歩道となっているため本来の形状は不明であるが、単純な連続堀切ではなかった可能性がある。
北尾根側にも出丸とされる人工的な地形があるが、城郭遺構かどうかはっきりしない。一つ北の峰は南側を土塁状に残し削平した感があり、北側が若干切岸となる。もう一つ北側の峰にはのろしの看板があるが、ここは南側に堀状の窪みがあり、その南を削平してある。
南の大歳神神社から登山道があり参道入口に駐車可能。
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