築城年代は定かではない。
赤松則祐の三男満則が大河内庄を与えられて大河内赤松氏の初代となり、天神山城を居城とし四代続いて中道山城へ移ったと伝えられている。
天神山城は標高262.3mの三角点のある山の一つ東の峰に築かれている。
主郭は山頂部が一段小高く、南東に二段の削平段があり、その周りを武者走りが巡る。
西へ伸びる尾根は二条の堀切7、8で遮断しているが堀切の間も甘い二段の削平地がある。
南東へ伸びる尾根は明確に堀切で遮断しておらず、西側面に竪堀4、5、東側面に竪堀1、2とそれぞれ二条の竪堀が確認できる。ただ竪堀4の起点部の脇は浅く窪んでおり、竪堀2まで続いて堀切になっていた可能性がある。
主郭の北側は浅く途中で途切れているが横掘6で、西端部分は竪堀として側面へ伸びている。
主郭部の南東のピークにあるA地点はほぼ自然地形であるが、西側は高さ1mほどの切岸になっている。ここが『中世播磨250の山城 』で天神山城Bとしている地点のようであるが、現状明確な城郭遺構とは見えなかった。また『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』でも二ヶ所の城郭遺構があるとしており、北西の三角点のある峰まで確認したが、こちらも城郭遺構は確認できなかった。
東麓にある姫路市立前之庄こども園の近くから林道があり、その途中から尾根を登る。林道終点からあがるほうが勾配は緩いが、林道が荒れていて歩くのも難儀する。
最寄り駅(直線距離)