播磨 安志陣屋はりま あんじじんや
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享保2年(1717年)小笠原長興によって築かれた。 享保元年(1716年)豊前国中津藩主小笠原長さとが幼少で無くなり、中津小笠原家は弟長興が継いで、安志一万石で移封となり、以後明治に至る。
小笠原家は信濃国の名族であり、中津家は本来宗家の血筋であったが、忠脩が大坂の陣で戦死した後は、忠脩の子が幼少であった為、忠脩の弟忠真の家系が嫡流となり、豊前国小倉を領している。