明応2年(1493年)下村則真によって築かれたと云われるが定かではない。
篠の丸城の出城であったともいわれ、天正8年(1580年)羽柴秀吉による長水城攻めでは、緒戦でこの城が攻め落とされ、秀吉がここに本陣を構えて長水城と篠の丸城を落としたという。
城はヒチリキ神社(篳篥)の東にある南東から北西に伸びた尾根の先端部分にあり、長水城、篠の丸城を一望できる。
山頂部分は南北二段の削平地があり、南端に土塁状の高まりがあるが、ここは削平の結果削り残された段差で、その南側は土塁にみられる急斜面ではなく、なだらかな尾根が続いている。
北西下には現在愛宕神社があるが、ここが曲輪かどうかは定かではない。