築城年代は定かではないが戦国時代中期に菅野氏によって築かれたと云われる。
天文12年(1543年)から同14年まで小寺政職が在城していたと云われ、その後は小寺政隆、小寺政親、小寺政範が居城としたが、天正8年(1580年)に落城したと伝えられる。
塩田城は菅野川上流の西岸にあり、南へ伸びた丘陵の先端に築かれている。
比高30m程の丘陵の先端を曲輪とし、北背後を二重堀切で遮断している。堀切に面して高土塁があり、内側には部分的に石積がある。曲輪は単郭で南に一段小さな腰曲輪が付いている。
近くの明證寺は小寺氏所縁のお寺と伝承されている。
県道53号線から県道433号線に入ってひたすら北上する。しばらく行くと明證寺があるが、その少し手前に西側に曲がる道があり、ここに道標が出ている。この道に従って林道を進むと登り口がある。一応この奥に車を駐めておけるスペースがある。
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