播磨 徳久城はりま とくさじょう

城郭放浪記


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播磨 徳久城の写真
掲載写真数
形態
山城(320m/190m)
別 名
柏原城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,曲輪,堀切,畝状竪堀群,虎口
城 主
柏原氏,間島景綱
縄張図
徳久城縄張図
歴 史

築城年代は定かではないが建保年間(1213年~1219年)に柏原弥三郎為永によって築かれたと云われる。 柏原為永は柏原城主柏原頼宗の子であった。

為永の子永利のときに嘉吉の乱(1441年)で、滅ぼされたと云われるが、時代が合わない。

赤松氏が再興したのちは間島景綱が入城したという。

説 明

徳久城は千種川の東岸に聳える標高320mほどの山に築かれている。

主郭は山頂にあり、西と南に伸びた尾根に曲輪を展開する。東背後の尾根は二重堀切5、南尾根は堀切4、西尾根は放射線状の畝状竪堀群3を設けており、これが主郭部となる。

主郭から西へ伸びた尾根には鞍部となる曲輪IIIとその西にあるやや小高い峰にある曲輪IIがある。

曲輪IIは山頂部がやや広い曲輪で、西と東に小規模な腰曲輪を備えており、西尾根先端を三重堀切1で遮断している。

曲輪IIIは低い鞍部にあり、南側に虎口のような開口部があり、東の主郭側に土塁が残る。主郭へはこの土塁のところからスロープが続き、畝状竪堀群の下方に到達する。

主郭の東尾根を遮断する二重堀切5の外側には緩斜面地形IVがある。二重堀切の外側にはスロープの脇に竪堀状地形、東尾根側には土橋状に残して幅広く堀切状に削った地形があるが、いずれも浅く不明瞭である。

案 内

南西尾根の麓から南の谷に入る林道がある。林道入口の獣避け柵を入ったところから尾根先をよじ登ると登山道があり主郭に通じている。

車は「殿崎倶楽部」と書いた公民館の前に駐車可能。

最寄り駅(直線距離)
3.2km 三日月駅
3.8km 播磨徳久駅
5.7km 平福駅
5.8km 佐用駅
8.0km 西栗栖駅
主な参考文献
中世播磨250の山城
都道府県別日本の中世城館調査報告書集成 (15)(東洋書林)(兵庫県の中世城館・荘園遺跡)
日本城郭大系〈第12巻〉大阪・兵庫(新人物往来社)
所在地/地図
兵庫県佐用郡佐用町東徳久
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
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3.3km 播磨 仁増の構
3.7km 播磨 天神山城
3.7km 播磨 長田山城
4.3km 播磨 米田城
4.4km 播磨 長谷高山城
4.6km 播磨 中島城
4.9km 播磨 大内谷山城
4.9km 播磨 長谷陣屋
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5.2km 播磨 別所構居(佐用町)
5.2km 播磨 鳶ノ巣砦
5.4km 播磨 猿喰城
5.5km 播磨 利神城
5.9km 播磨 平福陣屋
6.4km 播磨 福原城
6.5km 播磨 三河城
6.7km 播磨 多賀城
6.9km 播磨 高倉山城
7.4km 播磨 塩田城
7.7km 播磨 櫛田城
8.1km 播磨 早瀬城
8.5km 播磨 柏原城
最終訪問日
2021年12月
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