築城年代は定かではないが建保年間(1213年~1219年)に柏原弥三郎為永によって築かれたと云われる。 柏原為永は柏原城主柏原頼宗の子であった。
為永の子永利のときに嘉吉の乱(1441年)で、滅ぼされたと云われるが、時代が合わない。
赤松氏が再興したのちは間島景綱が入城したという。
徳久城は千種川の東岸に聳える標高320mほどの山に築かれている。
主郭は山頂にあり、西と南に伸びた尾根に曲輪を展開する。東背後の尾根は二重堀切5、南尾根は堀切4、西尾根は放射線状の畝状竪堀群3を設けており、これが主郭部となる。
主郭から西へ伸びた尾根には鞍部となる曲輪IIIとその西にあるやや小高い峰にある曲輪IIがある。
曲輪IIは山頂部がやや広い曲輪で、西と東に小規模な腰曲輪を備えており、西尾根先端を三重堀切1で遮断している。
曲輪IIIは低い鞍部にあり、南側に虎口のような開口部があり、東の主郭側に土塁が残る。主郭へはこの土塁のところからスロープが続き、畝状竪堀群の下方に到達する。
主郭の東尾根を遮断する二重堀切5の外側には緩斜面地形IVがある。二重堀切の外側にはスロープの脇に竪堀状地形、東尾根側には土橋状に残して幅広く堀切状に削った地形があるが、いずれも浅く不明瞭である。
南西尾根の麓から南の谷に入る林道がある。林道入口の獣避け柵を入ったところから尾根先をよじ登ると登山道があり主郭に通じている。
車は「殿崎倶楽部」と書いた公民館の前に駐車可能。
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