元禄10年(1697年)森長俊によって築かれた。 三日月藩森氏は、延宝4年(1676年)津山藩主森長武が弟長俊に美作国勝山郡内に一万五千石を分与したことに始まる。元禄10年(1697年)津山藩主森長成が嗣子なく没して改易となると、所領を播磨国佐用郡・揖西郡・宍粟郡内に移され三日月陣屋を構えた。
三日月藩森氏は長俊の後、長記・俊春・俊韶・快温・長義・長篤・長国・俊滋と九代続いて明治に至る。 俊韶は広島藩主浅野重晟の二男快温を妹を養女にして婿養子として迎え、快温は寛政7年(1795年)に藩校広業館を創設した。快温も嗣子なく新見藩主関長誠の二男長義を養子に迎え、長義もまた赤穂藩主森忠賛の五男長篤を養子に迎えている。
三日月陣屋は志文川と角亀川の合流する北側にある乃井野の集落、御殿山の南麓に築かれていた。大手は志文川に面して枡形が設けられていた。
かつて移築されていた櫓や表御門が再移築されている。
物見櫓(現存 櫓)
表門(移築 城門)
広業館(移築 その他)
中御門(復興 城門)
通用門(復興 城門)