備中 新見陣屋びっちゅう にいみじんや
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元禄10年(1697年)関長治によって築かれた。 関長治は美作国津山藩主森長継の子で宮川藩主関長政の養子となり家督を継いで2代藩主となったが、元禄10年(1697年)美作国津山藩森氏が改易となると備中国新見一万八千石で転封となった。
宝暦3年(1753年)に藩校思誠館を建設し、これが現在の思誠小学校の前身である。
陣屋には現在新見北高校、思誠小学校が建っている。 思誠小学校の入口付近に案内板があり、その脇に石垣が残っている他、小学校と高校の間に石段と石垣が残っている。