築城年代は定かではないが小田氏によって築かれたと云われる。 小田氏は新荘小早川氏の惣領家である椋梨国平の弟信平を祖としている。
延徳4年(1492年)御園宇城の平賀弘頼の攻撃を受けたので高山城の沼田小早川氏に田万里の領地を半分譲渡することで援軍を請うた。小田氏最後の城主は小田甚平衛と云われ、毛利氏が防長二カ国に減封となって萩へ移ったとき、小田甚平衛は下河内大和原に隠棲したと考えられている。
小田城は南へ伸びた尾根の先端に築かれており、現在は史跡公園として整備されている。
主郭は北の山から切り離すように大規模な堀切と切岸で切り立っており、その上に三段ほどの平地を築いて、北端には土塁が残る。西下には広い曲輪があり、ここが現在駐車場となる。南には大きな石を並べた門跡らしきものが残るが、その周囲の石垣は構成のものが大半である。南西には畝状竪堀があるようだが藪化していて未確認である。
主郭の西下まで車で行くことができる。
最寄り駅(直線距離)