詳細不明。南北朝時代に田屋城主の上山氏が籠もった上山城とも考えられている。
障子嶽城は宇山集落の北背後に聳える標高556.2mの嶽ヶ城山頂に築かれている。
障子嶽城は山頂に主郭を置き、東西に伸びる尾根に曲輪を配した連郭式の山城である。主郭はきれいに整備されており、周囲に低いながら土塁が巡らされている。主郭の北東側に現在登ってくる道が屈折してついており、これに対してやや張り出している。
主郭と現在の登山道が付いている東の尾根伝いは問題なく歩くことができるが、主郭周辺と西尾根は密集した雑木林で、主郭の東下の曲輪に残る石積を確認しようとしたが、全く確認することができなかった。「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」に掲載されている縄張図を参考にすると、西側の尾根は東側と同様に小段の曲輪が続いており、一部には土塁が付いているようだ。
宇山地区にある教念寺を目指す。教念寺から東の旧宇山小学校の方に進んで行くと障子嶽城の案内板がある。登山口はここから北側に登っていき、城山の東の峠、龍王山との境付近にある。この峠まで車で登ることができる。
旧宇山小学校では宇山ソバが食べられるが、ここに宇山地区の城山などが掲載させた案内板が建っている。
最寄り駅(直線距離)