大永3年(1523年)平賀弘保によって築かれた。 文亀3年(1503年)平賀弘保は白山城を築き居城を御薗宇城から居城を移したが、尼子氏が大内氏の鏡山城を落とすとこれに対処するため頭崎城を築き嫡男興貞を置いた。
頭崎城は標高504.3mの頭崎山に築かれている。城域は広く東西約700m、南北約500mと安芸国でも有数の規模を誇る。
主郭部は山頂にあり、石垣の残る「甲の丸(本丸)」の南に「二の丸」、南東下の頭崎神社のある所が「三の丸」、その南の高台が南北二段の「太鼓の段」、南西に伸びた尾根にあるのが「煙硝の段」、主郭の北西下に「西の丸」、以上が主郭部の曲輪で看板の建っているものである。
他に確認した看板は三の丸から南へ降りた所にある鳥居の段、北西から続く林道側にある「大将の陣」である。
西の丸から東へ回り込んだ所には連続竪堀、さらに北東下に降りていくと畝状竪堀群が残っている。
南西側の谷間一帯には屋敷跡のような平段遺構が数多く残されており、一部に石積を伴っている。
「大将の陣」と呼ばれる所は最高所が林道によって切通されているが、北と南に平段遺構が連なっている。
南西麓の貞重集会所近くに案内板が設置されている(地図)。
登山道は案内がなされているが利用したことがない。西の県道を北へ進んでいくと林道入口に道標が出ており、ここから未舗装林道を登っていくと西の丸下にある広い駐車場まで車で登ることができる。(林道入口)
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