築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に上山信平によって築かれたと云われる。 上山氏(うやま)は新庄小早川の庶家で、椋梨国平の子の和木為平の子、信平が上山氏を称した事に始まるという。
南北朝時代に信平とその子高平は南朝方として上山城に籠もって戦ったが、安芸国守護代福島左衛門四郎入道によって攻略された。この上山城は田屋城ではなく障子嶽城、または下高城ではないかと考えられている。
永享3年上山景高は椋梨氏に従っており、時代不詳ながら「小早川氏一族知行分注文」には上山七十五貫文とある。
田屋城は沼田川の支流が流れる谷間の東岸にあり、山塊の西の丘陵に築かれている。
最高所が主郭で東端に二ヶ所土塁が残り、その近くに上山氏のものと考えられている五輪塔がある。東背後は深い谷が入り、堀となっている。西下には南北に広い平地があり、南側に虎口のような通路が南にある民家へと繋がっている。