築城年代は定かではないが鎌倉時代に小早川李平によって築かれたものと云われる。 椋梨氏は高山城の沼田小早川家の庶流で小早川次郎景平の次男新庄左衛門尉李平がこの地を得て、その子新左衛門尉国平が継いで椋梨氏を名乗ったことに始まる。
慶長2年(1597年)小早川隆景が三原で没すると椋梨景良は毛利輝元に仕え、関ヶ原合戦後に防長二ヶ国に減封となると萩へ移った。
椋梨城は椋梨川に向かって伸びている丘陵に築かれている。 単郭の城で、周囲に切岸を巡らせた城台が一段小高く残り、公園として整備されている。
主郭は南端に土塁があり、石碑が建つ。北端には櫓風の建物がある。南背後から東側に掛けて幅20m程に一段低い地形が残り、空堀が巡らされていたようである。北側は堀切状の窪地があり、その先にも平段が付いている。
国道486号線椹梨小学校から東へ約1.2kmの所にある。道路沿いに道標が出ており、国道の南側に大きな看板が掲げられているので簡単に見つかる。
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