安芸 祝屋城あき いわやじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (安芸国/広島県) > 祝屋城
Tweet
安芸 祝屋城の写真
掲載写真数
形態
山城(257m/80m)
別 名
岩屋城,巌城,巌屋城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
石積,土塁,曲輪,竪堀,井戸
城 主
深瀬氏(宍戸氏)
縄張図
祝屋城縄張図
歴 史

永正6年(1509年)宍戸元家によって築かれた。 五龍城主宍戸元家は嫡男宍戸元源に家督を譲り、次男隆兼を連れて祝屋城へ移った。

元家は永正6年(1509年)に没し、祝屋城を継いだ隆兼は深瀬隆兼と名乗なり、宍戸氏の分家となった。

天文9年(1540年)尼子晴久による吉田郡山城攻めでは、先発隊として尼子国久の軍勢が志和地の八幡山城に布陣し宍戸氏を攻めたが、宍戸元源や深瀬隆兼により撃退されたとの伝承が伝わるが、史料からは確認されていない。

説 明

祝屋城は可愛川(江の川)とその支流に挟まれた北東へ張り出した尾根の先端頂部に築かれている。

主郭は東端の曲輪Iで中央が一段高く西端に土塁を備える。南側面には同じく西側に土塁を備えた腰曲輪I3があり下方には井戸とされる窪みのある腰曲輪がもう一段ある。

東の尾根先には腰曲輪I2、さらに下方に腰曲輪I4、I5がある。

主郭部の西側面は高い切岸で明確な堀切にはなっていないが、Aのあたりは若干凹んで竪堀状に伸び、下方には竪堀状の溝1、2が確認できることから、もともと堀切があった可能性はある。

西の曲輪IIには教得寺があったと云われている。このお寺は現在の浄土真宗本願寺派 正源山教徳寺として国道沿いに少し吉田町方面に進んだ所にある。その由緒書きによれば、開祖了西は宍戸元家の四男歌之介元隆で、五龍城主宍戸元源、祝屋城主深瀬隆兼の弟となる。

曲輪IIは北の鞍部側に切岸があり虎口らしきスロープも確認できるが、南は緩やかに傾斜するのみである。その先には溝3があり堀切の可能性もあるが、現状は山道の切通のように見える。いずれにしても西背後のほうが高くなる地形であり、この幅の狭い溝と曲輪IIの緩斜面では南からの攻撃に対応するのは難しいだろう。

案 内

城山の南麓に登山口があり、石碑と案内板が建っている。

最寄り駅(直線距離)
1.6km 上川立駅
2.1km 志和地駅
5.6km 甲立駅
7.1km 長谷駅
7.7km 船佐駅
主な参考文献
日本城郭大系〈第13巻〉広島・岡山(新人物往来社)
広島県中世城館遺跡総合調査報告書
所在地/地図
広島県安芸高田市甲田町深瀬
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.4km 備後 茶臼山城(上志和地町)
2.5km 備後 八幡山城(三次市)
3.7km 安芸 加井妻城
4.4km 安芸 勝山城(粟屋町)
4.6km 安芸 柳ヶ城
4.6km 安芸 茶臼城(粟屋町)
5.2km 安芸 日原城
5.2km 安芸 奥垣内城
5.5km 安芸 勝山城(甲田町)
5.5km 安芸 乳母ヶ城
5.7km 安芸 牛首城
5.7km 安芸 五龍城
6.2km 安芸 平家ヶ城
6.4km 安芸 仁後城
6.7km 安芸 浅原城
6.7km 安芸 狐城
7.4km 安芸 猿ヶ城
7.6km 備後 辻塚城
7.7km 安芸 面山城
7.9km 備後 沼山城
7.9km 備後 青山城
8.1km 備後 末元城
8.2km 備後 寄貞城
8.3km 安芸 清源城
最終訪問日
2026年1月
TOP > > (安芸国/広島県) > 祝屋城