築城年代は定かではないが三吉氏によって築かれたと云われる。 三吉氏の境目の城として機能していたと考えられており、発掘調査による出土遺物から15世紀後半から16世紀代に使用されていたと推測されている。
加井妻城は江の川と上村川が合流する地点の南側にあり、江の川に沿って北へ伸びた尾根上に築かれている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』など先行図面に記されている曲輪群は曲輪群IIの部分であるが、今回確認したところ、さらに上の部分に曲輪群Iを確認した。
主郭となるのは曲輪群Iで、南北に2つ小高くなった曲輪I1とI2があり、一段低い曲輪I3でつながる。I1、I2ともに東側面からスロープが付いており、虎口と考えられる。I2、I3の一部で石積が確認できる。
南背後は堀切3であるが、後世にやや改変されていると思われ、西の竪堀は山道として利用され、東には竪堀となった部分が残る。さらに南側にも浅い堀切地形4がある。
北側は腰曲輪I4があり、その下にほぼ埋もれているが幅広の堀切2がある。
先行図面で主郭とされる曲輪群IIは、南端最高所に土塁の付いた曲輪II1があり背後を堀切1で遮断する。ここから北へ段々に削平された曲輪群が連なっていたようであるが、II2の下の曲輪から先は遺構が消滅している。先行図面を参照すると、北端から北東と北西の2つに分かれて段曲輪があったようである。
北にある中国自動車道の側道から西側の谷に入るあたりから山に取り付くことができる。谷の奥から堀切1へ登るのが登りやすい。
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