寛永9年(1632年)広島藩主浅野長晟の庶長子浅野長治が五万石を分与され、三次藩が成立し、その居所として三次城が築かれた。
三次藩は長治以降長照、長澄、長経と続いたが享保4年(1719年)4月長経がわずか十一歳で早世したため所領は広島藩に還付された。同年10月長経の弟長寔が再び五万石を分与されて三次藩が再興されたが、翌5年にわずか八歳で没し三次藩は再び断絶となり広島藩領となった。
三次城は三次小学校の北、現在の三次ふれあい会館の辺りに築かれていた。江の川、馬洗川、西城川に囲まれた平地で、西には福島氏時代に支城の一つに取り立てられていた尾関山城がある。
三次城は御館と呼ばれるように東西にやや長い館で遺構はないが、館跡には江戸時代の頼杏坪役宅(運甓居)や三次社倉がある。