慶応2年(1866年)江戸幕府によって設けられた。
一般的に高浜台場あるいは高浜砲台と呼称されるが、高浜船番所が正しい。対岸には楠葉台場があり、隣接して楠葉船番所があった。
慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いの頃、高浜船番所は津藩藤堂氏が守備し、楠葉台場は小浜藩酒井氏が守備していた。鳥羽伏見の戦いが勃発して京都から退却してきた旧幕府軍は楠葉台場、橋本台場に集結したが、このとき津藩が新政府軍に寝返り、対岸の楠葉台場に向けて砲撃を開始、旧幕府軍はこれに応戦するも敗れ、大坂へ落ち延びていった。
高浜船番所は現在河川敷ゴルフ場となって遺構はない。高浜薬師堂のところに石碑がある。