築城年代は定かではないが中小路氏によって築かれたと云われる。
開田城が文献に登場するのは、『大乗院寺社雑事記』が唯一で、文明2年(1470年)山名弾正と丹波勢が開田城と勝龍寺城を攻めた記録が残されている。
開田城は長岡天神駅の北西側一帯に築かれていた。ライフォートというマンションの建つ一角が開田城で、北西側と南東側に土塁の一部が保存されているのが唯一の遺構である。
このマンションのエントランスには開田城の模型が設置されており、そこにはパンフレットも備え付けている。宅地化によって消滅した城跡は数多いが、このように住んでいる方に分かるように展示されている所は非常に少なく、ありがたい限りである。