築城年代は定かではない。 天正11年(1853年)秀吉の命により羽柴秀長が修築し、秀吉の側室茶々姫が入る。これが茶々姫を淀殿と呼ぶ由縁となる。淀殿はここで長男鶴松を産むが鶴松は3歳で没した。
文禄元年(1592年)木村常陸介定光が文禄の役の功により越前国府中より十八万石で加増転封となったが、文禄4年(1595年)関白秀次事件に連座して切腹となり、淀城も廃城となった。
淀古城は桂川・宇治川・木津川が合流する水運の要衝に築かれていた。 現在遺構はなく、妙教寺の境内に淀古城の石碑が建っているだけである。
妙教寺に駐車場がある。
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