慶応元年(1865年)江戸幕府によって築かれた。
江戸時代末期に開国を求める外国船が大阪湾にも現れるようになると、京都守護職であった会津藩松平容保によって江戸幕府に建白があり、大阪湾から京へ遡上する淀川沿いに築いたのが楠葉台場であった。
楠葉台場は大阪府と京都府の境目の辺り、淀川の東岸に築かれていた。現在は国指定史跡となり公園整備されている。
楠葉台場は稜堡式の台場であるが、新設した京街道を台場内に引き込み、番所を設けているのが最大の特徴で、これは尊王攘夷の機運により京を目指す長州藩などを警戒するための措置と考えられている。また、通常海に面して築かれてる台場が河川に面しているのも特徴である。
現在残されている遺構は台場の東半分程度で、西側は京阪本線や河川となっている。南側には稜堡の折れを伴う大空堀があるが底はコンクリートになっている。稜堡式の土塁や内側にある見切塁、北には北虎口、北堀なども残るが、規模は小さく案内標識がなければ見落としてしまう程度である。
周辺は現在開発中で道路も不明確である。現状では公園用の駐車場はないが、入口近くに駐めておくことはできる。
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