元禄2年(1689年)久貝正方によって築かれた。
久貝氏(くがい)は久貝正俊が徳川家康に仕えて旗本となり、元和5年(1619年)に大坂東町奉行に任じられ三千石を領した。寛永10年(1633年)には二千石を加増され五千石の旗本となった。この正俊のとき荒廃していた長尾の地を再開発し、福岡村ついで長尾村となった。
長尾陣屋が築かれたのは正俊の孫正方のときで、武蔵国に五百石を加増され五千五百石の旗本となった。
長尾陣屋は瑠璃光寺の東側一帯に築かれていたと云われる。 現在は特に案内もなく、宅地や田畑となっている。
長尾陣屋の陣屋門が津田の円通寺の山門として移築現存し、長尾駅の南側にある正俊寺は初代久貝正俊の菩提を弔うために建立され、久貝氏の菩提寺として久貝家墓所がある。
門(移築 城門)