江戸時代に高家として三千百二十石を領した能登畠山氏の代官所で、北田家が代々世襲代官を勤めた。
北田家は北畠顕家の後裔を称し、交野城主安見直政の家臣であったが、交野城が落城したのちは帰農して庄屋を務めていた。江戸時代になり、畠山義真が大和国宇智郡内、河内国交野郡内、摂津国豊嶋郡内で三千百二十石が与えられると代官職を勤めた。
交野代官所は現在も代官の末裔北田家の屋敷で、国指定重要文化財に指定された北田家住宅である。これを示すような案内板も石碑もなく、ひっそりとした佇まいで、細い路地に面した長屋門や蔵などを外から眺めるしかないのだが、一応年に一・二回内部を公開しているようである。