讃岐 鳥屋城さぬき とりやじょう
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築城年代は定かではない。『由佐家文書』の観応2年(1351年)に「安原鳥屋の要害」の警固を命じされており、これが鳥屋城と推測されている。
鳥屋城は小さな谷を挟んだ東西2つの尾根に遺構が残る。
西曲輪群は最高所に広い曲輪がありその南背後を堀切で遮断する。北端は小さな段々曲輪となる。西側面に連続竪堀のような地形がある。
東曲輪群は最高所が城内で最も広く、北東側に段曲輪が続き、下部に堀切がある。
北端の国道からよじ登ったが、背後の尾根まで林道が来ている。