正平17年・貞治元年(1362年)伊賀掃部助高光によって築かれたと云われる。
細川頼之と細川清氏が戦った高屋合戦で、頼之方として戦って清氏を討ち取ったのが備前国の住人伊賀掃部助高光で、この功によって山田下外の地を賜った高光が築城したという。
伊賀城は山腹に城山大神宮が祀られた山に築かれている。山腹にある神社の境内となっている平段から下方に畑となった段々の平地が拡がり、曲輪跡と見られている。本殿脇から山を登っていくと、北背後を土塁と堀切で遮断した曲輪が一つあり、これが詰城部分とされる。この曲輪は一応低い切岸が付いて周囲より小高くはなっているが、南側は曖昧で山腹もなだらかな地形である。
城山神社の境内まで車で登っていくことができる。
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