築城年代は定かではないが滝宮氏によって築かれたと云われる。 在地領主であった滝宮氏は長禄2年(1458年)に滝宮豊後守実長の名が出てくるのが初見である。
天正6年(1578年)の城主は滝宮豊後守安資で羽床城主羽床伊豆守資載の女を妻にしていた。同じく羽床伊豆守資載の女を妻に迎えていた勝賀城主香西伊賀守佳清が、天正6年(1578年)これを離縁したことから羽床氏と香西氏の争いが始まり、羽床伊豆守の嫡男羽床忠兵衛が軍勢を率いて柾木城を攻めてきた。滝宮豊後守の軍勢が羽床忠兵衛を討ち取ると、伊豆守が大軍を率いて押し寄せてくるのを恐れ、柾木城から香西氏の勝賀城へ逃れた。
柾木城は県道184号線沿いにある松崎バス停付近に築かれていたという。 北と南に谷が入り、東の北條池方面に半島状に突き出していたというが、現状では北側の谷が中原上池と下池として残されているにすぎない。