築城年代は定かではないが屋嶋城と同様、七世紀後半頃に築かれた朝鮮式山城と考えられている。 『日本書紀』によれば天智天皇6年(667年)に高安城、対馬国金田城とともに屋嶋城が築かれたことが記されているが、この城山城については記されていない。東麓には古代讃岐国の国府があったとされ、それに関係するものと考えられている。
城山城は標高462.3mの城山に築かれた古代山城で、標高400mと標高300m付近に二重になった城壁を巡らせていたという。内側の城壁ラインを第一車道(くるまみち)、外側の城壁ラインを第二車道と呼んでいる。
城山城では城門、水門が各一箇所、内郭は石塁、外郭は列石を有する土塁で、外郭の全長は4.2km程になるという。城山にはホロソ石と呼ばれる凹を有する石や、カガミ石と呼ばれる平たい石などが点在して残っている。
ホロソ石は一本松に三個、城門東方下に一個、ササキ原に二個、サルブチ滝に一個、曽根越に二個あって、合計九個ある。鏡石(マナイタ石)はササキ原に一個、坂本バエに一個、新城山に一個、白峰宮西に一個の合計四個であるが、新城山のマナイタ石は探し出せなかった。
城門や水口石塁は高松カントリー倶楽部の敷地内にあることから、ゴルフ場の許可を頂いて見学することとなる。幸いロビーでお願いしたところ、城門などを案内して頂くことができた。こういった見学の依頼はときどきあるようなので、当日でも可能かもしれないが、できれば事前に連絡しておくのが望ましいと思われる。
県道188号線と189号線がそれぞれ山の東、西麓から山頂までついており、山頂には公園駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)