高安城は古代の天智天皇6年(667年)に築かれた高安城(たかやすのき)と、戦国時代に信貴山城の支城として築かれた高安城(たかやすじょう)がある。
戦国時代の山城遺構は信貴山城主となった松永久秀が出城と築いたと伝えられ、地名も字「出城」である。
高安城は大阪府(河内国)と奈良県(大和国)の境に位置する。
中世高安城は高安城の山頂に築かれている。県境の尾根を林道が通っている為、城の遺構は東西に分断されているが、残存状態は良好である。
主郭は西側で北西から南西方向に長い曲輪となり、南東下に虎口が付き、北東下に腰曲輪が残る。林道を挟んだ東側に二郭、三郭がある。二郭は土塁が巡る小郭であるが、西側に向かって通路状に伸び、その周囲を横堀が巡る。横堀を挟んで南側に三郭があり、一番広い曲輪であるが、土塁は北東側のみ付いている。
中世高安山城は西信貴ケーブル高安山駅と信貴山を結ぶハイキングコース沿いにある。高安山駅に「高安山の史跡案内」という石碑があり、出城と倉庫跡、信貴山城の図が刻んである。ここから高安山に向かう途中にある高安山気象レーダーの所にも高安城の石碑が建っている。
古代高安山城はさらに信貴生駒スカイラインを越えて信貴山方向へ行った所に道標が出ている。
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