築城年代は定かではないが島氏によって築かれたと云われる。 島氏の出自は詳らかではないが、一乗院方の国民であった。
長禄4年(1460年)畠山義就の軍勢が島城へ押し寄せたが、筒井順永の後詰により撃退している。この島城が西宮城か椿井城と考えられている。島氏は後に椿井城を築いて居城とし、筒井順慶、後に石田三成に仕えた島左近清興が著名である。
西宮城は平群中央公園の一角にあり、北の谷を挟んで下垣内城と相対する。 現在城の遺構は表面観察することができず埋め戻されているようである。公園にある案内板によれば、時計台のある所が堀切で土橋が架かり、東側が主郭、西側が副郭であったようだ。
平群中央公園に駐車場がある。国道からすぐ近くであるが、住宅地の間を抜けないとたどり着かない。
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