築城年代は定かではない。古くは足利尊氏に従って大和に入部した足立氏を出自とし、のちに窪田氏と称した。筒井氏と婚姻によって勢力を拡大し、中殿と呼ばれるようになって中氏となった。その後、帰農して現在まで続いている。
上窪田環濠は中氏とその分家である石田氏の屋敷を囲むように二重の堀が巡らされており、現在も当時の遺構を色濃く伝えている。
中家住宅は国指定重要文化財で、現在の主屋は万治2年(1659年)頃の創建と推定されている。隣の石田家は現在人が住んでいないが、入口となる門は多聞城からの移築だと伝えられている。
上窪田環濠はこの中家と石田家を取り囲むように二重の堀があり、中家の南側に掛かる木橋は毎夜はずしていたという。
中家住宅として公開されているが、現在も住居として利用されており、内部の見学は予約制である。
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