寛永12年(1635年)平野長勝によって築かれた。 平野氏は五千石の旗本交代寄合で、初代は賎ヶ岳七本槍で著名な平野長泰である。
平野長泰は賎ヶ岳合戦の後、河内・近江で三千石を領し、文禄4年(1595年)二千石の加増を受け、大和国十市郡七か村五千石を領した。
田原本は寺内町が発達しており、当初は教行寺によって経営が行われていたが、二代長勝のとき、田原本陣屋を築いて入封し、教行寺は箸尾へ退去した。
その後も代々旗本交代寄合として続いたが、明治元年(1868年)平野長裕のとき、新政府の計らいによって実高に高直しされ、一万一石となり諸侯に列したが、わずか一代であった。
田原本陣屋は現在の田原本町役場付近に築かれていた。 遺構は残っていないが役場の西側にある駐車場の所に案内板が設置されている。
南西にある本誓寺、浄照寺の辺りが教行寺のあった所でる。本誓寺は平野家菩提寺で境内には二代平野長勝と九代平野長発の霊廟がある。