築城年代は定かではないが高田氏によって築かれたと云われる。 高田氏(当麻氏)は一乗院方の国民で至徳元年・元中元年(1384年)の「長川流鏑馬日記」にもその名が出てくる。
文安4年(1447年)には越智・古市方の布施氏によって攻められ、五重の木戸を四重まで攻め落とされながらも撃退した。
松永氏と筒井氏が対立すると高田氏は松永氏に属したが、元亀2年(1571年)松永氏が筒井氏に大敗すると筒井氏が大和国を支配することとなり、高田氏は中坊で殺された。
高田城は片塩小学校一帯に築かれていたという。 遺構はないが、小学校の南側にある小公園に案内板と石碑が建っている。 公園の南側にある常光寺には高田城主當麻(当麻)三河守為長公之墓がある。