築城年代は定かではない。 万歳平城を居城とした万歳氏の詰城と考えられているが、松永久秀の家臣竹内下総守秀勝の城とする説もある。
万歳山城は二上山から東へ派生した尾根の先端頂部、標高380m付近に築かれている。 現地には「原岳」と札が掛けられていたのでそう呼ばれている山であろうか。
万歳山城はこの標高380mの山頂に主郭を置き、主郭を扇の要として東と南東尾根に広がる谷間に曲輪を配している。
主郭は切り開かれて展望施設となっているが、付近一帯は荒れた山で倒木や笹薮が多く、遺構の確認は困難である。縄張図を頼りに降りていくと、東尾根の先端にしっかり削平された段があり、その下方に堀切と竪堀が確認できる。この東へ伸びた尾根の谷間部分に登山道があり、この道は當麻山口神社へ通じているようである。この道を挟んで南側の山腹に広く削平された曲輪が三段付いている。
主郭から南東側へ伸びた尾根は尾根上が土塁となり、谷間の内側が一段低く、小さな段が点在している。これも尾根先部分が切り開かれ展望台となっている。ここから東下の尾根に曲輪が広がっているようであるが、薮化しており確認していない。こちら側にも南尾根へ降りていく登山道があり、南尾根の三重堀切は辛うじて確認できる。
「日本城郭大系」の縄張図には描かれていないが、「中世城郭辞典」の縄張図には南西斜面に畝状竪堀群が描かれている。ここも笹薮になっていて降りていくのが困難であるが、何とか降りて散策するとはっきりとしない連続竪堀ではあるが、竪堀をいくつか確認することはできる。
二上山城経由で散策したので、麓からの登山道は不明であるが山口神社へ降りる道標が付いていた。
二上山城からは「岩屋」へ向かう。ここから竹ノ内峠に向かう道があり、その途中から山口神社方面に分かれる道へ進むと主郭の展望台に至る。
最寄り駅(直線距離)