築城年代は定かではない。楠氏七城の一つとして楠木正成によって築かれたと伝えられるが定かではない。
明応8年(1499年)赤沢朝経が二上山城を拠点として大和を制圧したが、永正4年(1507年)細川政元が永正の錯乱によって暗殺されると赤沢氏の勢力も削がれた。
天文10年(1541年)木沢長政が二上山城や信貴山城を整備し拠点としたが、翌天文11年に木沢長政が敗死すると二上山城も攻め落とされた。
二上山城は大和国と河内国の境に位置する二上山の北峰、標高517mの雄岳山頂に築かれている。
主郭のある山頂は東西に長い曲輪で東端に二上神社が鎮座している。その東下の段には大津皇子の墓がある。二上山城はこの主郭を中心として東西に伸びた尾根に段々と曲輪を配する連郭式の単純な縄張りで、堀切は主郭の西下にわずかに確認できる程度である。しかし、標高の高い山城の割に高い切岸としっかりと削平された広い曲輪となっている。
日本城郭大系によれば、南峰の雌岳にも城郭遺構があったという。雌岳山頂は広く公園となっており城郭らしさは残されていないが、東側の山腹に数段の腰曲輪が残っている。
二上山城へは登山道が各所から整備されている。今回は国道166号線沿いにある万葉の森から登り、鹿谷寺跡を経由して雄岳、戻って雌岳そして万歳山城を散策して竹ノ内峠に下山するルートで散策した。
最寄り駅(直線距離)