寛文元年(1661年)石川総長によって築かれた。
石川総長は膳所藩主石川忠総の二男で、慶安4年(1651年)忠総が没して甥の石川憲之が家督を継ぐと、一万石を分与され諸侯に列し、伊勢国神戸藩となった。万治3年(1658年)大坂城番となって一万石を加増され、河内の所領を管理する為に築いたのが白木陣屋である。
神戸藩石川氏は享保17(1732年)三代石川総茂のときに常陸国下館に転封となったが、この河内領と白木陣屋はその後も維持され、明治まで続いた。
白木陣屋は台地の東端部に築かれていた。現在陣屋跡は畑や民家などが建っているが、南の道路に面して案内板が建っており、東側には石垣が見えている。
門(移築 長屋門)