詳細不明。建武4年(1337年)北朝方の半田城を南朝方の勢力が攻めた記録が残る。
半田城は狭山神社の境内付近が推定地である。狭山神社は段丘の下にあり、東側が段丘上で、この段丘の西端にコの字に土塁と堀状の溝が確認されている。『大阪府中世城館事典』によれば、この遺跡は以前発掘調査が行われたが、明確な城郭遺構とは断定できず、神社の結界としての境界とも考えられおりはっきりしない。
土塁と溝のある部分は周囲より一段高く概ねフェンスが巡っている。開口部もあるので入ることは可能だが、藪になっているので入らず遺構は未確認である。