元和9年(1623年)高木正次によって築かれたと云われる。 高木氏は三河国碧海郡高木村を本貫とする清和源氏の後裔で、水野氏などに仕えた後、徳川家康に仕えた一族である。
初代高木正次は関ヶ原合戦の後七千石を所領とし、大坂の陣で二千石を加増、元和9年(1623年)には大坂定番に任ぜられて一千石を加増され、都合一万石となって諸候に列した。高木正次を祖とする丹南藩は一万石のまま十三代続き、高木正善のとき明治に至る。
下野の出張陣屋として下野国五十部陣屋がある。
丹南陣屋は来迎寺の東隣に築かれていた。 来迎寺は高木氏の菩提寺で墓も残されているが、陣屋があった場所は商業施設や宅地などとなり遺構はない。
現在来迎寺に案内板と石碑が設置されている。